こんにちは
魂のメンター 多紀理久美子です。
世間一般の常識でみたら、
一見とても悲しいデキゴトに見えること。
ヒトの話を聞いたり
様々な情報源から取得するニュースを見ているとたくさんあります。
当事者でないひとに
注意喚起しようと意図的に流される情報もあります。
あー、あれは不幸なことだ
あー、あれは取り返しのつかないことなんだ
あー、あんなことがおこったらとんでもない。。。
ああならないようにしなければと。
こういうこと
本当にたくさんあります。
共感してこっちまで怖い想像をして
ドキドキしてきます。
けれど、時間をかけて
落ち着いてから魂視点で視てみると、
あのことは、あのひとは、
今世はあれでよかったのだ。
学びをしている真っ最中なのだ、、、とわかってくる。
わざわざ大変な目に合いにいくような選択をするひとを
どうしても理解できなくて、
批判したくなったとしても、、
そのひとは、今はそうしかできないし、
いまそのことから学ぶときなんだ
とみることができるようになってくる。
それでもなにか一言
どうしてもその人に言いたくなったときは、
その言葉を自分になげかけてみるといい。
自分にこそ、必要なコトバなのかもしれないから。
モノゴトは、
ひとのモノサシでは
決して計れないことがある
これがわかると、、
外側を見る目だけでなく
自分を見る目も養われる
自分を優しい目で眺めていられる
集合意識でできている一般常識の世界では、
どうみても不幸じゃないか、、と涙目でみてしまう出来事も、
一歩引いてみてみれば
全体として、長い目でみれば
プラスマイナスゼロだった、
いやむしろ、この経験があればこそ、
ということも少なくない。
ワザワイヲテンジテフクトナス
ヒトから見てどうかは知らないけれど、
「あのときは、あれが最善だった」
「あれ以外にどうすることもできなかった」と気づいたなら、
しっかりと認めておこう。
0コメント