これは昔から父の口癖でした。
子どものころ、
なんで〇〇ちゃんのところは△△なのに
うちは違うの?とか
なんで〇〇ちゃんは××を
習っているのに、うちはだめなの?
なんで〇〇ちゃんは□□を持っているのに
わたしには買ってくれないの?
なんで、なんで、なんで???
、、とわたしは、よそさんと比べて
違うところをみては、
なぜうちはああではないのだろうか。。。と
疑問に思っていました。
お友達をみて羨ましいようなことも
たくさんあったのだろうと思います。
わたしのなんでなんで攻撃に
毎度、答えに窮する母の横で
父が一言、
「うちはうち、よそはよそ」
と、終止符を打つのでした。
なんでよそはよそ、うちはうちなの?
と聞くと、
よそへ行って聞いておいで
と、言って黙ってしまいました。
むーーーん
と、子ども心に納得がいかなかったことを覚えています。
大人の事情を察するなんてことはできませんでした。
しかし、この歳になって思うのです。
「うちはうち、よそはよそ」って
本当にそうだなぁと。
普通なんていうものは幻想なのだと。
ぱっと見、豊かでお幸せそうな方でも
よくよくお話を聞けばご苦労の多かった
人生の方もおられるし、
ぱっと見、ご苦労なさっているのかな
と思いきや
実は、とても充実していて幸せな
オーラを強く発しておられるかたもある。
テレビのCMやドラマで繰り広げられる
理想的な家族や家庭の絵は、
それはそれで素敵なものだけれど
そんな標準なんてものはないのだ。
世間の基準や
一般的な常識と
かけ離れるのがコワイと感じることが
あるかもしれないけれど、
実際には
かけ離れているひとが大多数で
それでも一生懸命、
標準とか、普通と言われるものに
合わせて生きているのではないかと思う。
「うちはうち、よそはよそ」
そう言い切った父。
よそさんをうらやんでばかりいても
しょうがない、ともよく言っていたなぁ。
わたしは
納得がいかないから、
そんなこと言ったって
欲しいものは欲しい
羨ましいものは羨ましい!
とひとりすねて怒って困らせた。
80を過ぎた両親は
身体こそ弱ってはいるけれど
考え方はとてもしっかりしている
すごいなと思う。
これはおかしい、と感じて怒るポイントも
意味がわからないと、聞いてくる内容も
ここが不安だ、と言ってくることも
どれも、、なるほどとうなづける。
ちゃんと理屈が通っている。
わたしが答えられるものは
できるだけ調べて具体的に答える。
あるいは、
うん確かにおかしいよね。
そう思うのも無理もないよ
と伝える。
この両親に育ててもらって
本当に恵まれていた。
わたしはわたし
ひとはひと
堂々と我が道を行きますか!
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.
0コメント