もうずいぶんと、、20年近く昔の話になりますが、諸事情あって義父母との同居を解消することを決意したとき
親を捨てる気か?
と、強く責められたことがありました。
当時は自分と子ども達のことで精一杯で頭真っ白状態だったので、
親の行く末を心配する気持ちは
実はこれっぽっちもありませんでした。
親もまだ若くて元気でしっかりしていたし。。
親を捨てるというのは
親から精神的、物理的に自立する
ということに他なりません
そのためにはまず
一旦 物理的な距離をおくのが
効果的な方法です。
と、今はわかります。
わたしたちは
例えば、進学したり社会人になって故郷を離れることがあります。
物理的に離れてようやくわかることがたくさんあります。ずっと一緒にいる時には気づけなかった故郷の良さや有り難さも、逆にそうでないこともです。
その上で、自分はどこでどのように生きることにするのかを、自ら選択します。
親と共に暮らしながら
お互いを尊重できて、程よい距離が保てる
温かい関係を築けるなら、それはそれで素晴らしいことで、それが叶っている方はなんとお幸せなおひとだなぁと思います。
けれど、多くの場合どちらかが過干渉や依存気味になったりして、何となくうまくいかない。当然トラブルの原因になります。
家族だからうまく行く、とは限らないのです。逆に家族だからという甘えから遠慮がなくなり、むき出しの感情をぶつけることだってあります。見えているものを無視するのは難しいです。
親を捨てる
というとかなり聞こえが悪いですが、、
そのくらいの気概がないと、適切な距離が測れないのです。
それくらい“親子の呪縛“は強いし
それを愛と履き違えてしまうわたしたちなのです。
どこまでいっても答えが出ない苦しみを生む人間関係は、親子愛かもしれません。
嫌いなのにひどく気になる
昔ひどい育てられ方をしたのに離れられない。。
そんなひとの方がより一層、親子の呪縛が強いのです。
そこには、強烈な罪悪感が根底にあります。
生まれてきてしまってごめんなさい、
どうしたら愛してくれますか?
こんなわたしは罰せられるに相応しい、、
と、
自分から親に近寄り、ひどいコトバを浴びせられにいってしまう。。謎の行動。。
もちろん、ご本人にそんな気持ちはさらさらないでしょう。
ただ仲良くしたいだけです、親孝行の気持ちを伝え受け入れてもらいたいだけです。ありがとう、助かるよと普通に接してもらいたいだけなのですから。
他人なら
そんなひどいコトバ浴びせてくるようなひとには、二度と近づくまいと、思うでしょう。反撃に出ることもあります。
しかし、
”親子の呪縛“があると
それでもまた、何度でも同じことを繰り返して自ら傷つく行動にでてしまう。
不思議ですね。。本当に。
このループから抜ける手立ては
1) 物理的に距離を取ること。
すぐさま駆けつけられない距離で暮らすこと。
2) 親は可哀想な人ではないと知ること。
3) ひとりの誰にも邪魔されないところで、親にされた許せないことを全部書き出して、口に出して気が済むまで罵倒すること。
4) 親にして欲しかったこと、親から言ってもらいたかったコトバを書き出して、それを時間をかけて自分にしてあげたり、いたわる声をかけ続けること。
ひとを自分の思い通り変えることはできません。ましてや自分を育てた親を変えることはできません。
親もひとりの人間で
親も学んでいる最中で
親も未熟な存在で
もう年老いていて、、
親にも守護霊がついています。
親に認めてもらう、愛してもらう、わかってもらうのをアキラメル決意をすることが
本当に親を捨てることなんだと思います。
親を捨てた先に
自分への許しが起こります
ようやくほんのわずか
自分との和解の始まりを迎えます。
自分が幸せな楽しい状態になることが
許すことです。
さて、昔々
無理矢理引き剥がすように、義父母との距離をとったのち
どうなったかというと
お互いその間に
ほんのわずか成長を遂げた
という風に感じます。
それには、お互い
必殺、「ミズニナガス」という高等技術を用いました。
こうでなければ
ああでなければ
あのときこうだったから、、を
もう口にしない。
必殺 ミズニナガス と、
もうひとつ、
必殺 キガカワル が使えます。
絶対に許さない、と思っていたことでも
時の流れと共に自分が成長したら
この必殺技二つを使えるようになっているでしょう。
それには相手を変えるのをアキラメル
しかありません。
相手を変えるのを アキラメル
過去のことを ミズニナガス
執着を手放して キガカワル
この道のりが成長です。
徳を積むともいいます。
楽しいこと好きなことをしながら
その成長を待ちましょう。
あなたにも
必ず親の呪縛が解ける日がきます。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.
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