出来る限りのことをして与え続けても
まるで焼け石に水のように
相手が不満気な様子だったり
上手く行かない状況が続くことは
ありませんか?
そんなときは、しばらくの間
その特定の対象(状況やひと)から
静かに離れてみてください。
与えなければ
役に立たなければ
救わなければ
わたしがやらなければ、、
という「心のポジション」から降りる。
あるいは無理やりにでも
物理的に距離を置いてみてください。
そうはいったって
わたしがいなければ。。と
不安がこみ上げてくるかもしれません。
でも、
与え続けて心身が疲弊しているときは
あなたが先に休まなければなりません。
それで、万一その対象(状況やひと)
が良くない方に向かっていく
ダメになっていくのなら
その対象は
あなたが居てもいなくても自然と
良くない方に向かっていく流れになっています。
少しばかりご自分を優先したからといって
あなたのせいではありませんから
ご安心ください。
あなたが抜けた部分は、
あなた以外の何かや誰かのエネルギーが、
そのポジションを埋めるように動いていきます。
それでも不安にかられて
その対象からどうしても離れられないときは、
自分の犠牲を分かって欲しい
認めてもらって許されたい
自分を必要として欲しい
感謝されたい
だからもっと与え続けなければ、という
強烈な執着心が勝っているときです。
わたしが与え続けなければ
大変なことになると決めているとき、
それに応えてくれる対象(状況やひと)が
自然とそばに整います。
あなたの意識、
つまり、思ったことが叶うようにです。
A:自分を疲弊させてでも与え続けなければ
要求に応え続けなければ
⇅
B:わたしは可哀そう、足りない、困っている
もっと頂戴もっともっと欲しい。。
A,B の両役者の共通点は
愛の枯渇状態です。
A:自分を後回しにしてでも与えなけば
わたしには愛される資格がない。
⇅
B:わたしは愛される資格がないから、
ひとから奪ってでも貰わなければ
どちらも
そもそもわたしは
愛されていないという
寂しい似たもの同士
もしここに
一滴の光の潤滑油を落とすとしたら
それは、
「ありがとう」
という感謝の心ではないかと思います。
対象が見せてくれた
自分の間違った在り方に
気づくことができた感謝。
本当の感謝は
「ない」という思いを経験して初めてわかります。
望まずして手に入ったものに対して
ひとは無反応です。
軽々しく扱います。
最初からそこにあったものに
感謝できないのが、
わたしたち普通のひとです。
どんなに心づくしの親切を受けても、
それが自分から頼んでいないことだったら
内心ちょっと迷惑に感じたり、
平気で素通りしたり、
次もそうしてもらって当たり前
あれ?前は言わなくてもこうしてくれたのに...
親切が足りないのでは?と不満さえ感じるのです。
ひとは実に傲慢です。
はい、お恥ずかしながら
当然、わたしも含まれます(*ノωノ)
あなたの心からの優しさや親切心が
ないがしろにされて枯渇してしまうような
エネルギー漏れを起こすような状況を
続けることはやっぱりおかしいのです。
それにはまず、
ご自身がその「心のポジション」を
降りること。
そうして、
ご自分をたっぷりといたわってから
「良かれと思って、、」
先回りして行動することを
ひとつひとつ止めていくことから
始めてみてください。
不親切で冷たいみたいですか?
でもね、
そうすれば不思議と
今まで感謝されたことがないひとから
「ありがとう」と言われることが
増えますよ♡
だって、そもそもあなたは
優しく親切なひとなんですから、
無理にそうしようとしなくても、ね。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.
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