これがとても嬉しいことだと
普段は忘れているわたしたちです。
おかげさまでわたしは健康に生まれ
身の回りのことは自分でできます。
でも、この先なにか状況が変わって
自分でなにもかもするのが難しくなったとしたら、、
それでも意識がしっかりしていて
なんとか自分の身体が動かせるうちは
できるだけ、
ゆっくりと不器用にでも
自分の身の回りのことは
自分でしたいと思うだろうと思います。
そんななんというか
自分へのプライドというか
人としての尊厳みたいなものが
根底にあるように感じています。
子ども達が幼稚園に上がるころ、
自分で手を洗えたら
上手にできたね!と褒めました。
お着替えするときも
ボタンがひとつ留められただけで
上手にできたね!と褒めました。
ご飯のとき
お箸でお芋をさして口に運んだら
上手にできたね!と褒めました。
子ども達はきっと
そのなんでもないような
ひとつひとつのことに
自分でできた!という
達成感を味わっていたのではないかと
思うのです。
社会性は、その達成感を味わった後に
自然と身についていくものです。
身体が思うように動かないときに
ひと様に手を差し伸べていただけるのは
もちろん、とても有難いことです。
でも同時に知っておきたいのは、
ひとは自立したい生き物だということです。
そこにひととしての尊厳があります。
何かを学んだら、それを我が身に携えて
次は自分で、
それができるようになりたいし
教えてもらわなくても
自分からわかるように努力したい。
いつだって
自分でできた!という達成感を味わいたい
生き物なんだと思います。
意識していなくても、そういう
光の方向に向かって成長していきたいという
ほのかな”向上心”が、
ひとの魂には最初から備わっています。
ところで、
親切心とはなかなか
表現するのは難しいもので、
どこまで手出しをしたらいいか
悩ましいときがあります。
例えばそれは子育てにおいてもそうです。
先回りして良かれと思って、
親が手出しをしすぎたら
子どもは「達成感」を味わう機会を失っていきます。
そして、
なんでもしてもらうまで待つか
なんでもしてもらって当たり前で
「ありがとう」が言えなくなります。
でも子どもは、なぜ「ありがとう」が言えないのかわからないでしょう。
そんな気持ちが湧いてこないのですから。
心から「ありがとう」って言えるって
とても気持ち良くて嬉しい幸せなことです。
言われた方も、そのひとことで
すべてが報われるような気持ちになり
おだやかな温かいエネルギー交換が起こります。
でもそれは
達成感という喜びを経験したひと同士にしか
わからない感覚かもしれません。
ひとから達成感を味わう喜びを
取り上げないこと。
そのことを頭の片隅におきながら
適度な距離で親切を手渡したり
受取ったりできるといいなぁ♡(*^^*)
と考えています。
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Sofie KT.
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