ものすごく恥ずかしいのですが、わたしはずっと子育てしながら、「子どもが巣立った後、一人で生きていけるようになりたい」と思ってがむしゃらに生きたような気がします。いや、そうでした。どんなに愛しい手塩にかけて育てた子どもであろうと、いつか成長し、自分の手から離れていく、夫もあてにはできない。いつか一人になっても生きていけるように、だれにも迷惑をかけない自分にならなければいけない、そう思ってきました。
これって、子供時代、親に感じていたことと同じです。なるべく早く自立して、親に迷惑をかけない自分にならなければならないと強く思っていたのです。困って頼ったときに、「無理」って言われることがとても怖かったのです。愛されていない、愛されるわけがない、ここには自分の居場所はないという思いを握りしめていました。
前世の強烈な記憶が残っていることも、いまではわかっています。
今思えば、自分が愛されないなんて、なんの根拠もありません。それどころか、いつも視えない世界からの格別の援助をいただき続けていたことを実感しています。現世で欲しいものが欲しい形で与えてもらえないからといって、ない、わけではないことを、現世と魂の世界の両面で学び時間をかけて理解しました。
わたしが結婚する前に作りたかった家族関係が、忘れた頃に実現しました。
特に、父親と子ども達が仲がいいこと。
お父さんという存在が家族のなかにしっかりあること。
おかしいですか?こんな望み。。
ことばにして説明するのが難しいのですが。
こんなことは想像もできなかったなぁ。。
色々露呈してお恥ずかしいけれど、ほんとうにぎくしゃくしていたから、、
時々考えます。どういうのが豊かな人生なんだろうと。
もちろん、成功して物質的豊かさに恵まれ、そのうえで人間関係も整っていたらいうことはありません。その中でも、一番身近な人間関係が安心できるものであるとき、そのひとは心の豊かさを味わうことができるのではないかと思っています。
どんな荒波も一緒に乗り越えられる、些細なことも、成功したときにも一緒に喜びあえる。そんな身近な安心できる存在があることは、人生の豊かさではないかと。もちろんその中に、まず自分自身がいることは言うまでもありません。”自分自身との人間関係”が安心でき、信頼できるものであること。
自分を信頼できる状態にあるとき、自分を責めたり、いじわるしたり、ジャッジしたりすることがありません。とても優しい世界です。それが現実面に反映されるのではないかと思います。
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