〜鳥居と日輪〜
こんにちは
魂のメンター 多紀理久美子です。
先日、久しぶりに実家に顔を出してきました。酷暑の中、クーラーもつけずに過ごしている高齢の両親が、頼もしかったり心配になったりしています。
このところ会うと、「わたしたちがいなくなったら、◯◯はこのようにしてね、大事な◯◯は、ここにあるからね etc.」と、終い支度に余念がない様子の母です。いつも頭がくるくる回転して何か考えては一喜一憂しています。朝夕は、近くの川沿いを散歩して、行き交う人と顔馴染みになり、話をするのが癒しのようです。
父は相変わらず言葉少なです。耳が遠いけれどニコニコとよく食べよく眠り、少し太ったかな。時間通りに日課のお散歩を済ませて、お昼にきちんと戻ってくる、という規則正しい暮らしをしています。
もうお昼になったらきちんと戻ってくるんだから、と毎日食事を用意する側の母は飽きずにぶつぶつ言います(笑)
これはものすごく有難いことだと感謝しています。無事で戻ってきてくれてありがとう。食事を用意してくれてありがとう。
家の中のものが、徐々に壊れていくのだと母が言うので、それなら修理するより新たに買い替える方がいいよ、手配するねと言うと、老い先短いから新しいものはもう要らないの一点張り。
そっかー、うん、わかった。
と、一言だけ返事するわたし。
口を開くと主に文句しか言わない母の声を、ひたすら音として聴く。出てきたなら出したらいいよと、流しながらきちんと聴く。
そんなわたしは心の中で、
あなたには、これもあるしあれもある、
こんな素敵な景色の中を毎日散歩できるだけの健康もある、と、勝手にあの人の”ある”を数える。
でも同時に
あると数えられないものは、その人にとっては、ないも同然という厳しい現世の仕組みを思う。
ただそばにいて、わたしはわたしでいるしかなかった。
とはいえ、
人間、愚痴を言いたいだけのこともある。
なので、ふーんと聞いて、
母は十分幸せなんだろうなと思った。一通り愚痴を出しきったら、ふと優しくて面白い昔の母の顔に戻る。
帰り際、父が、いつも美味しいものをご馳走してくれておおきにな、と言った。
こちらこそ、いつも気まぐれに誘っても、喜んで一緒に出かけてくれてありがとう。
両親に会いに行けて良かった。
とくに何もできなくても
顔を見ただけで、元気な姿を見られただけで十分。
実家詣はどこの神社よりもわたしを透き通らせてくれる気がするのは気のせいか。
帰り際握手した父の顔が、不思議とピカピカしてとても綺麗だった。
さて、今日は本当なら大文字の日。
慣れ親しんだ行事が一切行われない、静かな夏が過ぎてゆく。
ずっと昔、孫らに用意した浴衣を全員に着せて、写真を撮る時の誇らしげな母の笑顔を思い出す。
お盆にはあの世からみなさんが帰ってくるというけれど、、
本当はみんながお墓参りに行ったり、お仏壇を飾ったりして、あの世を思い出すための儀式。この日だけは故人を偲び感謝する日。普段忙しくて忘れていても、この日だけはあの世を思う日。
だから、
お盆でなくても、お仏壇がなくても、お墓参りに行けなくても、たった一人でも、いまはあの世に住むあのひとを思い出しさえすればいい。
元気にしていますよ、いつも見守ってくれてありがとう。笑顔で生きていくからねと、あなたなりの方法で伝えればいい。
視える視えないは関係ない。
そこにある想念の世界。
夏休みを我が家で過ごした家族がまた、それぞれの配置につきます。
離れていても一緒だよ。
がんばってこ!!
さーて多紀理のお塩プレゼント発送の準備準備♡うふふ♪
皆様佳き一日をお過ごしください。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.
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