幼い時から興味があった、この世の去り際。。
小学4年生で祖父が亡くなって大泣きしたときも、泣きながら頭の片隅で、おじいちゃんはこの先どこへいくのかな、、とずっと考えていました。
祖父とは、毎月初めに鞍馬さん(鞍馬寺)へ家族でお参りに出かけていました。おじいちゃんが元気な間だったから、小学3年生くらいまでだろうか、、定かではありません。家族で出かけるとなると鞍馬さんへ、という印象です。鞍馬駅近くにある、かどやさんの小上がりで、木の芽煮を添えたお赤飯と、しっぽくうどんをいただくのが子ども心に楽しみでした。
おじいちゃんが亡くなった後は、すっかりその習慣はなくなっていきました。
去年、心屋マスターコースで仲良しになったスピ仲間から、鞍馬さんに行こうと誘ってもらってとても嬉しかった。懐かしがっていると、前日からお線香の香りとともにお経が聞こえてきて、あーおじいちゃん来てくれたんだなと思いました。御本堂にいくと読経が流れてきました、、聞こえていたのはこれだったのね、、と思いつつお線香とお蝋燭を供えました。今では京都でも名高いパワースポットとして有名な鞍馬さんですが、わたしには懐かしい家族思い出の場所です。
〜ひとり手すりに佇む〜
ところで、
亡くなった後、ひとはどこにいってしまうのでしょうか。だれかお迎えはきてくれるのでしょうか。
これは、わたしの持論ですが、聞いてくださいますか。
ひとは肉体を離れたあと、しばらくはこの世にとどまってなじみの方々にお別れの挨拶にいきます。現世からあの世に帰る間の、移行期間みたいな感じです。49日というのがその期間かもしれません。
そのあとは、お迎えがきます。
お迎えは、なるべくなじみの方。あの世では肉体がないのですが、安心させるために、生前なじみの深いお姿で現れてくださいます。
かけてくださる言葉はきっと、「お帰りなさい、長旅お疲れ様でした。最後までよく生きたねぇ。」です。
最近母が、「はやくお母ちゃん(祖母)からお迎えがこないかしら」、とばかり言うので、
「そんなこと言うんなら、わたしの時にも早めにお迎えに来てや(笑)」というと、
「嫌やあんたは長生きしよし」、とすぐに言い返すので、二人で顔を見合わせて吹き出してしまいました。
短い人生、長い人生いろいろありますが、
寿命を全うできたなら、それで万々歳。
いつかはその日が訪れます。
どんな人にも平等に。
それでも、魂の旅の途中、楽しい思い出中心に魂のアルバムをつくっていけたらいいなぁ。失敗やなんかも、すべてはお宝経験なので、あとで見返して、あーあの時本当にきつかったなぁ、やだ恥ずかしい、って苦笑いや照れ笑いをして、はい、今回もお疲れさんでしたといきたいものです。
魂の世界を学んでおいたら、去り際になにかいいことありますか?
そうですね、、うーん。
あるといえばあります。
魂視点と現実視点の両方でモノゴトを把握する術を心得ていたら、
今を生きることに夢中になっていいんだーっていう本当の意味が分かるし、
この世で体験することは全てが学びだと腑に落ちるし、
拗ねたりひがんだり、ひとを責めたりじぶんを責めたりする必要がないとわかるし、
この世が断然生きやすくなります。
ただ、それを知らなくても、
そんな魂の世界のしくみに全く興味がない人でも、
必死で生きてこの世を去る時には、
頑張ったねお疲れ様でした、と光の中に迎えてもらえる。。
何回も何回も繰り返し生まれ変わって、お宝経験を積み、その度に気づき、学び、魂が一切の濁りなく透き通るころ、
生まれ変わる必要がなくなって、今度は霊界で現世を支える側になります。お使いや、守護霊、指導霊などになるんだろうと思っています。
果てしない物語。これは上層階でのおはなしです。
いつか訪れる去り際は、全て潔し、といきたいです
が、そうかっこよくもいかないだろうな。。
十分悪あがきして、じたばたもがいて、いただいた命を最後まで生き切ろう。。そう静かに決意しています。
0コメント