遠慮して何もしないとか
無難な範囲に留まっておとなしくする、、、
ということとは違うだろうと思います。
自戒の念を込めて、
身の丈を知るというコトバを
使う方も多いかと思います。
わたし自身、
無鉄砲で、あまりにも背伸びをして
できないことにまで無理やり手を広げて痛い目にあったときや
金銭的に無理をして、無い袖を振ろうとしてみたり、、
そんなときには、やっぱり
「身の丈を知る」ということが身に沁みたこともあります。
けれど、一方で本当に
身の丈を知ろうと思ったら
今いるところだけに安住していたら
わからない、ということもあります。
ときには冒険もしてみて初めて
あぁ、いま現在の実力ではここまでしか
理解が及ばないのだな、、と分かったり、
自分の身の丈を客観的に測るということが
できるのです。
挑戦もしないうちから諦めることが
身の丈を知ることではないと考えています。
たとえ、多少痛い目にあっても
無駄足を踏んでも
偽物を握らされたとしても
一時、孤独になってみじめな思いをしたとしても
決してタダで転んでいるわけではありません。
立ち上がる時には、
”経験”という宝物をしっかり掴んで立ち上がり、また上を向くのです。
今現在の自分の立ち位置が分かれば、
作戦を立て直して、また
次の冒険に向けて歩き出せばいいのです。
身の丈は育てるもの。
じわじわと見えない部分から。
それが知らないうちに積み重なって
あるとき
目に見える“変化”として、ひとに認知されるようになります。
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.
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