Mentor of Your Spiritual Life by Kumiko Tagiri

魂学®主宰 魂視点から視た生き方のヒントを綴ります♪

高齢の親との時間

2024.10.25 母と北野天満宮へ

去年は元気だったなぁ♪

よく歩きました👣





先日、2週間ぶりに

両親それぞれに会いにでかけました


現在、施設に入居中の母は

認知症がゆっくりとすすんでいます


父は歩くことは難しいですが

意識も記憶も割合しっかりとしていて

在宅介護の状態で

デイサービスやヘルパーさんに

お世話になっています


どちらも介護の管理は

実家近くに住むきょうだいに

全てを委ねています

本当に有難いことです

感謝です




両親はそれぞれ

穏やかな日もあれば

そわそわしていたり

体調を崩していたり

機嫌が悪い日もあります

日によって様々です




その日は、母は調子がよさそうで

穏やかな感じでほっとしました


その前に訪れた時は

なんとなく苛立っていて

落ち着かない様子が

目立っていました



生きているのだから

日によって変化があるのは自然なことです



ですが

毎回、施設を訪れる前は

なんとなく気が重くなります

罪悪感やら心配やら無力感やら

施設特有の匂いや雰囲気が

そんな気にさせるみたいです



でも、

母に会いたい気持ちが勝るので

フアンとオソレからの

見えない重さを

エイッと払拭し

深呼吸して

車のハンドルを握ります






母に会うと、毎回同じ話が

繰り返されます


・みんな元気?

(オットや子ども達のことを聞いてくれます)

・見舞いにはだーれも来ない

・娘に会えあるのが一番嬉しい

・わたしが居ない方がお父さんとあの子(わたしのきょうだい)が

協力し合って仲良くできる

・ここは〇〇病院?(以前入院していたところ)


そのほか、母の子ども時代の話などが

繰り返されます

その度に、初めて聞くように

何度でも返事をするようにしています

すると時々、

あ、さっきも言うたねごめんごめん、と

普通にもどる瞬間があります



わたしのほかに

介護を担うきょうだいたちが

手分けして週に2回は顔を出していますが

すぐに忘れてしまうようです

”だれも会いに来ない”

とそれぞれに言っているそうです






ある日、きょうだいが父を車にのせて

母の面会にいったそうですが

母はずっと苛々と

落ち着かない様子で

10分ほどの間ソファに座り

少ない言葉をかわしただけで

帰ってきたそうです



先日わたしが面会に行ったとき

お父さんに会えて嬉しかった?と

聞いてみたけれど

母は覚えていませんでした


今年に入って認知症が進みだした

2月頃までの記憶の中に

生きているようです



一方、母との面会の帰り

在宅介護の父の様子を実家に見にいくと

父はわたしの顔を見るなり

電話機の調子が悪いのだと

えらい剣幕で文句を言いだしました



父の怒りに満ちた表情と

キレた暴言に(←昔ほどではないが)

久しぶりに接して

嫌悪感が湧き上がってきました



そうそう、身体が弱る前までの父は

カッとなると見境なく怒り

豹変する人だった

と、思い出しました

子どもの頃のオソレが蘇りました

母も子ども達も、

突然キレて”あの状態になる父”が

とても嫌で怖かったのです



あの状態、とは

強い「癇癪」の状態です

癇癪は心の病なんだろうなぁと

思います

現代では、なんらかの病名が

つくのだろうなと思います


ですが、

インターネットなどなかった

昭和の時代、

普段穏やかに見える人が

急に癇癪を起して豹変するから

といって

病気を疑うことなんかありませんでした

急に怒り出すことがある父を怖がり

また地雷を踏んだ自分たちを

責めるばかりでした




父は、電話機が故障したら

もう誰とも連絡がとれなくなることが

怖かったのだろうと思います

動けない、どこにも行けない

誰にも連絡が取れない

急に孤独と不安でいっぱいに

なったのだろうと推測します



よくよく調べたら古い配線が

接触不良を起こしていました

ディスプレイのライトは

消えていたけれど

通話機能自体はできることがわかりました



しっかりしているとはいえ

やはり話が通じない部分も多々あり

普段は嫌がって補聴器を外している

父への説明に難儀しましたが。。


2階にある電話機と交換する

ということで

ようやく気が落ち着いたようでした




昔は、カッとなった父の

激しい怒りを鎮めようと

家族のみんながちょっとした

パニックになり、余計に

火に油を注ぐ状態を作っていたんだなと

腑に落ちました



今回も、

襖をあけるなり、いきなり

電話が壊れたんや!と

絡んでくるので 思わず

シランガナ(# ゚Д゚)って

吉本新喜劇風に最速で

言い返しそうになりましたがw

わたしも少しは大人になりました(笑)

あはは( ̄ー ̄)






その後は、わたしが持参した柿を

美味しいわ、甘いなぁと言いながら

あっというまに平らげて

にこにこしていました



母の様子を写真で伝えると

元気そうやな

と喜んでいました

「わしが行ったこと覚えていたか?」

と聞くので、

いや、覚えていなかったというと

そうか、、と信じられない様子でした


それから筆談で

いろいろ話をしたり

子ども達の写真を見せたりして過ごしました


帰り際、

来てくれてありがとう

と何度も言って

涙ぐんで握手してくる父でした

感情のジェットコースターです




母は、よくこんな難しい父と

長年暮らしたなぁと思います

最後は長い老老介護状態でした


ただでさえ高血圧の母は

父の感情に振り回されたり

親しかった人の他界が続いたりで

自分も感情が高ぶって抑えきれないことが

多くなりました

時々、パニック状態で泣きながら

電話をかけてきていたことを思い出します



その度にわたしは

ひたすら冷静に

うんうん、そうかそうかと

話しを聞くだけにしていました

すると、

しばらくして落ち着きをとりもどし

ごめんね、と言う母でした



あの父と暮らしていたら

私も同じような状態になっていた

かもしれません

琴線に触れると突如豹変する

父の怒りの表情や態度には

人を無力化する何かがあります



こっちがその波長に乗りさえしなければ

いいのですが




父はやたらと神経質で几帳面

細かいところに気が付きすぎる

気の毒な人だなぁ

生きにくかったろうなぁ

と今は思っています


手先が器用で頭の回転が早く

なんでも工夫して創り出す

お料理が上手で

いつも人のことばかり心配している

しっかりものの母


お互いが感情をぶつけ合って

暮らしていたんだろうなぁと思います





母は認知症になっても

自分のことで迷惑はかけられない

とどこかで思っているようです



うちで一緒に暮らそうか?

と誘っても

ここ(施設)にいる方が気楽でいい

と一言

あんたも嫁ぎ先で大変なんやから

頭が上がらないとはこのことです



大して何もできないけど

幸せでいようと思います

そして、毎日毎日

笑顔の2人を思い浮かべ

祈りながら

淡々と過ごしています


そして、時々

エイっと気合いを入れて

会いにいきます




毎日介護に携わっている

きょうだいたちと

介護従事者の皆さまに感謝しながら





Thank you for reading my blog.

Sofie KT.

Mentor of Your Spiritual Life by Kumiko Tagiri

魂学®主宰 多紀理久美子オリジナルの、Soul & Reality Perspective Method に基づいたカウンセリング、メンタリングを提供しています。明るく楽しく魂の学びがモットーです。

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